最も印象に残った言葉
時というものは最大の芸術家であります。
風景について
風景は心の鏡である。その国の風景はその国民の心を象徴すると言えよう。日本の山や海や野の、何という荒れようであろうか。
人はもっと謙虚に自然を、風景を見つめるべきである。それには旅に出て大自然に接することも必要であり、異なった風土での人々の生活を興味深く眺めるのも良いが、私達の住んでいてる近くに、たとえば、庭の一本の木、一枚の葉でも心を籠めて眺めれば、根源的な生の意義を感じ取る場合があると思われる。
どんな場合でも、風景との巡り合いは、ただ一度のことと思わねばならぬ。自然は生きていて、常に変化して行くからである。また、それを見る私達自身も、日々、移り変わって行く。
唐招提寺の「山雲濤声」について
さて私は、御影堂の障壁画を描くにあたりまして、なにを描くべきか、いろいろ考えましたが、やはり、この日本の風景の二つの大きな要素である山と海によって、和上がごらんになれなかった日本の風景をお描きしてお慰め申し上げる、そういう気持ちとともに、また、和上の徳の高さを山にたとえ、精神の深さを海にたとえて、その山と海によって障壁画を描くのがよくはないかと考えたのです。
時というものは最大の芸術家であります。そしてこの「山雲濤声」が、あるいは百年、二百年ののちに、時の作用によって、よごれきずついた状態になりましても、おそらくいまよりも、深みとか、芸術的な高さというものは生じてくるとは思われるのですが、しかし絵画というものは、あの和上のご尊像のような乾漆の像とちがいまして、そんなに長くもつものではありません。おそらく四百年というような歳月がたてば、あるいは消滅するものとも思われますけれども、しかしそれは、もちろん私にとってしあわせであります。私は、ただひたすらに純粋な気持ちでお描きしたということが、いちばん大事なことである、と思うからであります。
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日本画家、東山魁夷の自然に対する思い、日本(特に奈良)に対する思い、唐招提寺御影堂障壁画に対する思いを知ることができます。
この本を読んでいると、唐招提寺に行きたくなりました。